治療院立ち上げ日記 Episode 4.1
最終更新: 1月28日
コロナウイルスからの気づき
いよいよ治療院での仕事に本腰を入れる時が来ました。
お世話になった会社を2月末で退職して、3月からは一国一城の主となります。
まさか、このタイミングでコロナウイルスの影響を受けるとは。
2月半ばの時点で海外の状況が報道されていましたが、ここまでの世界規模で従来の経済活動が制限されることは想像に及びませんでした。
助走期間を設けていたためリピーターの方もいたのですが、東京都からの外出自粛要請もあり、高円寺の街中を歩く人の数は日に日に減っていきます。
予約のキャンセルも入りだした状況で、新規の方に治療院へ来ていただくのはハードルが高い、という判断をせざるを得ません。とくに小さいお子さんを連れて治療を受けに来たいという方は、まず一番に安全を優先します。
・治療とは何か?
・健康に過ごすには、何を優先するのか?
ひとりの治療家として、営業を自粛することは当然の帰結でした。

その判断をしたのは4月初め。
まだ東京都に緊急事態宣言が発令される前のタイミングです。
そこから、この状況下で何ができるかを模索する日々が始まります。
そもそも「治療」とは、どのような行為でしょうか。
辞書によれば、治療とは病気やけがを治すこと、とあります。
手元にある国語辞典には「手当てをして病気やけがなどを治すこと」と書いてありました。(新明解国語辞典第五版・三省堂)
しかしWikipediaには、以下の記述が見られます。
日本の法律上は「医師が患者の症状に対して行う行為」のみを指して治療といい、医師以外の施術者が患者の症状を快癒させても「治療した」とは認められない。つまり「医師による行為」が治療であり、「患者を治したから治療という訳ではない」という日本特有の事情がある(手当てをするという本来の一般用語としての「治療」の語の使用が実質制限されている)
これをどう捉えるか。
ヒポクラテスによれば、「医師が病を治すのではなく、身体が病を治す」と表現しています。
ここからは、私見になります。
治療という行為は他者に行うものであって、その結果、健康を回復する人もいれば、症状が変わらない人もいる。さらには体力がなく、残念ながら命を終える人もいることは自明の理です。
およそどんな病気でも、肩こりや腰痛といった身近な症状まで、良くなる、変わらない、悪くなるの3つのパターン以外の帰結はありません。
この3者をわけ隔てるものは何か。
それこそが「治癒」という、本人が持っている生命力なのだと思います。

そして、治癒を引き出す「きっかけ」こそが治療であって、何らかの手技療法だったり、カウンセリングだったり、あるいは気の合う仲間とのおしゃべりでさえもそのきっかけとなり、私たちは日々を元気に過ごしていけるのではないかと感じます。
法律上、医師による行為=治療とありますが、治りたい、元気になりたいという本人の力を引き出すのは、決してそれだけではない。
そのように考えると、外出を制限されている状況下でどうやって過ごすかということにも、ひと筋の光が見えてきませんか。
治療院立ち上げ日記 Episode 4
開業後すぐにやって来たコロナ自粛について綴っています
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